白桜だより

届けたいこと、遺したいこと

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変わりもん 

インスピレーションを受けて、少し考えました。








変わってることって、いけないことかな。
変わってることって、直せることかな。
変わってることって、そもそも
直す必要のあることなのかな?

何より。
変わってる。
って、一体。どういうことなんだろう。
普通と違うこと。
では、普通。って、一体。何を示しているんだろう。
ひろく一般のこと。
一般って?
大多数に共通であること。

んー、共通であることね…。


じゃあ、変わってるってことは、
"変わっている"それ、と、
それ以外の"普通のもの"との間に
共通点が少ない、或いは無い、ってことになるのかな?




では突然ですが、

  B(x)

があるとします。
(定義域(xの取りうる値の範囲)はとりあえず無視します。)
そして、ここに

   x = Aさん

を代入すると、

  B(Aさん) = ☆  …①

になるとします。


もひとつ同様に。今度は、

  C(x) をおいて

x = Aさん を代入すると、

  C(Aさん) = ★  …②

になるとします。

今、代入したのは、どちらも同じ Aさん です。
ただ、代入する場所に B(x)、 C(x) という違いがあったため、
同じ Aさん なのに、☆となり、★となりました。

このとき。B(x)のことをBさん。C(x)のことをCさん。
と見立ててみたら。

①は、Bさんから見たAさん = ☆

②は、Cさんから見たAさん = ★

とも、見られるんじゃないでしょうか。


ということは…。Aさんという人が一人であっても。
関わる人(BさんやCさん)によって、
Aさんは、☆にも、★にもなり得る。

もちろん、Bさんにも、Cさんにも、
Aさんに対して共通する印象というものは、あるでしょう。
(式で表すなら、
例:B(A1) = C(A1) 
⇒ x=A1 におけるB(x)とC(x)の交点。
※A1 はAが取りうる値のひとつ。)

しかし、Bさん≠Cさん なので、
Aさんに対する全ての印象が、どこまでも、
BさんとCさんとで一致するとは思えません。
なので、大きく見て、Bさんから見たAさんと
Cさんから見たAさんは、異なる。とします。

すると、さらにAさんは
Dさんと関われば◎になるかもしれないし、
Eさんと関われば□になるかもしれません。

こうして、
関わる人の数だけ、Aさんは形を変えるのかもしれません。
たとえAさん自身に、自分で変化しようという意思がなくても。

だとしたら。
仮に、Aさんが自己変革を行い、aさんになったとしても。
人と関わることにおいて、
Aさんが常に一つの形(☆や★)であることはできないように、
aさんであっても、一つの形であることはできないはずです。


そうであるなら…。

Aさんが、人から☆ではなく、★として認識されたい
がために、aさんになろうと思ったとします。
そして、Aさんは aさんになってうまい具合に、

 B(a) = ★

という式ができたとします。

しかし。Cさんにおいては、
今まで C(A)=★ であったのに、
Aさんがaさんになった途端、

 C(a) = ☆ 

になってしまったのです。 

言うまでもなく、aさんには、
Cさんのaさんに対する見方をどうすることもできません。

aさんは、結局。
Aさんであっても、aさんであっても、
人と関わる時において、
★であり続けることはできませんでした。



以上。
強引ですが…こうして表すこともできるように、
〔人から見た自分〕なんてものは、
自分ではどうにもできないんじゃないでしょうか。

『他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる』
という有名な言葉がありますが、これにのっとり
他人から見た自分を変えようとして、
「変えることのできない他人」は無視し、
「変えることのできる自分」を変えたとします。
でも、自分を変えても。
変わった自分を見る他人のことを、
自分が変えることはできません。
自分が変わったことで、
他人の認識する自分が以前と変わったとしても。
それは、自分が他人を変えたわけではなくて、
最終的には他人が他人自身の中で他人自身のことを
変えたに過ぎません。

自分を変えても、最終的な部分で他人を
変えることはできないはずです。



なら…。たとえば。

もし。自分が変わっている者であるとして。

ふつうになりたい。

変わっているところを直したい
(直す必要がないとしても)

と思っているとしたとき。

自分を変えても。

他人にどう見られるか。
を気にして、自分を変えていくのであれば、
それは…

キリがないのではないでしょうか。

そうすることを、私は
よいとも、わるいとも、思いません。
場合により、そうすることが
よいときも、わるいときも、どちらでもないときも
あるかもしれません。

ただ、それよりも思うことは。
変える必要が、本当にあるのか、
それとも、ないのか。
ということ。


今の、自分の性格なり、性質なりを。
(変えられる変えられないは置いておき。)

自分では変えなくちゃいけないと思っていても。

もしかしたら、変える必要なんてないのかもしれません。

(また場合により、変えるべきものは
行動だけでいいこともあるかもしれません。)


変わっているからいけない
とは、私は思わないです。
(常識的に考えて、人に迷惑をかけるようなことは
いけないですが…。)

たしかに…
変わってて困ることはあるかもしれません。
だけど、
変わってていけない、なんてことは、ないんじゃないかな。

基準なんて、それは揺ぎ無いものであるはずがなくて。
あたりまえだけど、
Aが基準のとき、
A=普通 B=変
なら、Bを基準にすれば
A=変 B=普通
になっちゃう。

凹へっこみは裏から見れば凸でっぱりで、
短所は長所で、それが個性。なんてのもよく聞きます。

変わってたって、いいんじゃないかな。
それがありのままなら。そのままで。
今までの中で作られた自分も。
今は、それが自分だから。
それに…きっと、これからどうにだってできる。


と言いつつ。私自身、変な子で、
直さなきゃいけないとこはいっぱいありすぎですけども。

そのまんまでいいべー

って、開き直ってるとこもいっぱいあります。
変でも。そのまんまでかまわないとこって、あると思います。


大事なのは、
他人から見た自分がどうであるかよりも、
自分から見た自分がどうであるか
なんじゃないかな。






p.s.
今の私は、自分から見た自分も
だめだめなので、精進せねばですが。



 

DSC07636.jpg




目的地までの道がひとつあったとして。

そのひとつの道を進んでいる途中に
その道が閉ざされてしまうと、
もう、目的地へは、辿り着けなくなってしまうように
思うかもしれない。


けれど。目的地への道は
いくつも。いくつも。
何十通りも。何百通りも。あって。

長いかもしれない。
短いかもしれない。

狭いかもしれない。
広いかもしれない。

浅いかもしれない。
深いかもしれない。

沼地かもしれない。
砂漠かもしれない。

水中かもしれない。
空中かもしれない。

朝かもしれない。
夜かもしれない。

猫がいるかもしれない。
犬がいるかもしれない。

真っ直ぐかもしれない。
曲がりくねっているかもしれない。

けれど。いくつも。いくつも。
思いつくよりたくさん、あって。

見つけようとしさえすれば
限りなく増えていく。

見つからないのは、
見つける気力が、足りないとき。



目的地に辿り着くのに。

ひとつの道が閉ざされても。
それが全てではないのだと思った。

探しさえすれば。
別の道がいくらでもあるのだと思った。




そして今歩いている道は。
今。全てで。
一番の道なのだと思う。

ひと時には。一本道しか歩けない。
その一本道には。
掘り下げても掘り尽くせない深さが常にあり。
学んでも学びきれない量の貪欲に学ぶべきものがあるのだと。



道がどうあれ。

どう歩くかは、自分次第。









切れる縁は切れる。 切れぬ縁は切れぬ。 

切りたいと願うたわけではないにもかかわらず
切れてしまった縁は、ある。



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読書 

読書。といえるような読書を始めたのは、
中学に入ってからだった。


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「意識しない」 

当然と言えば当然のことではあるが、

「意識しない」
ということは、

「意識しない」と
意識することではなく、

「意識しない」という意識すら
脳中に無い状態を云うのだろう。


通り過ぎれば。 

むしろ
否、むしろも何もない。

必死になれることは幸せなことだ。


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     風 

        

          ふみ
           文 





2006-11-4~6 2泊3日入院体験録  

きょうび。
さくらねこは、すこぶる健康です。
丈夫な体を持ち、動きたいように動けます。

しかし、去年の丁度今頃はそうもいきませんでした。
今頃熱が上がってきよったところだろう。
そして明日からの3日間、病院で過ごすことになろうとは。
去年の今頃は、まだ知らなかったはず。
それが、もの心ついてからの初めての入院体験でした。

病気のときはくるしいものです。
けれど、喉元過ぎれば何とやら…。

今、健康であること。
それはあたりまえのことでは、ない。

健康であることのありがたみ。


忘れないように、記録しておくことにします。



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