白桜だより

届けたいこと、遺したいこと

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なぜ、書くのか。 

なぜ、ブログを書くんだろうか。
少し考え突き詰めていくと、
ブログなんて、書かないですむなら、書かないにこしたことはない。
と、行き着くところは常に変わらない。
ふと思い返して、本棚から取り出してきた文庫本のページを繰ると、

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『ふいに吹く風』(南木佳士) 文春文庫

《小説なんか書かないですめばそれにこしたことはない。
この想いだけは小説を書き始めたときから今に至るまで変わらない。》
p.158 「故郷の五月」より

《人が短歌や詩や小説を創るのは、なんとかして自分の感動を他人に
伝えたいと願うからであり、そういう人は基本的に寂しがり屋なのである。
名作と言われる文学作品の中には必ず、人間とは存在することそのものが
寂しいものなのである、という一節が含まれている。》
p.32 「運動会」より


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そんなくだりを、再度見つけた。

文庫本最後のページの隅のほうに鉛筆で書かれたメモによると、
どうやら2年前の秋に読んでいたらしい。

ぁぁ、そうか…私の先の言葉は、知らぬうちに根底に沈殿し、
ふと浮かび上がってきたもの…。
そしてその出所は、この本であったのだと。

あるいは、胸のうちに潜めていた想いと呼べぬ想いを
まさしく代弁してくれる文章に触れたがために、
その文字列がより強く印象に刻まれていたものか。

(南木佳士は、高校2年の国語の教科書の小説で出会って以来、
とり憑かれたように、片端から出版されている本を買い集め、
空き時間の中で深く読みふけった、私淑する作家である。)


なるほど…その通りかもしれない。
否、恐らくその通りなのだろう。

南木氏のような格調高い小説の下で私のような小さな者の言葉を
ささやくことは、とてもとても恐れ多い思いがしてしまうのだが、
彼が伝え云わんとされることはそのまま、
ブログというものにも当てはまることなのではないか。
そう思えてならない。

もちろんブログにも様々な目的があり、一概にひとくくりには
まとめることはできないはずである。
しかし、ある種のブログには否めない、その要素が含まれている気がする。
そしてそれは、私自身のブログには確実に当てはまることである。

きっと、ブログも書かないですむならそれにこしたことはないのだろう。
(南木氏ではないが)少なくとも、
自分のそれに対してのこの想いはずっと変わらないように思う。
(「書かないですむにこしたことはない」とはどこか、
ニーチェの云う「生きる意味を考えるなんてことは邪道で、
考えずにすむなら考えないにこしたことはない。」という言葉にも
通ずるような気すらする。)

それでも書いてしまうのである…。
帰着するのは、"寂しがり"の単語なのだろうか。

拒みたくとも、そうでない。と言い切れないのが、かなしいかな。



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# |  | 2008/07/01 18:53 * edit *

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