白桜だより

届けたいこと、遺したいこと

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terminal 

宅外学習日。 2008年5月21日 (水)


DSC08106.jpg

もしも私が日本人ではなくて。

どこか、日本と離れた国に生まれて、
日本に訪れたことのないままに育っていたとして。

今日。初めて日本にやって来ました。
そして、今。まさに
日本、という国の駅のホームに立っています。
(しかし、数日後には再び帰国します。)
という、状況だったとしたら。


今、目の前にある。すすけたコンクリートの柱も。
金属色の、日に焼ける線路も。
耳に親しい駅名を告げる、録音された人の声も。
肌に伝わる、空気の感触も。
がやがやと賑わしい、絶え間ない雑踏も。


DSC08107.jpg

みんな。

日常とは切り離されて。
何もかもが、新鮮で。

だからこそ。
この一時を、出来る限りこぼさずに。
可能な限り、鮮明に。
記憶の中に、焼き付けようと。
思ったり。
なんて、するのかな。


少なくとも。"さくらねこ" だったら。
そうであるに違いない。






とはいえ。
私は日本に生まれて日本で育った、まるきりの日本人だけれど。
同じ国の中、世界規模で見たらさほど距離も離れていないくらいの
距離間を移動して、身をおいた。
これだけでも。
日常は、ある意味、非日常になる。
いや、これもそのまま日常になっていくのかもしれないけれど。
日常と非日常の区分って、曖昧な場合もあるのかもしれない。


ひとところの景色を前にして。
私の目に映るその景色が、私の日常の一部だったとしても。
あなたの目に映るその景色は、あなたの日常ではないかもしれない。
あなたが見慣れたその風景は、私には新鮮で目新しいものかもしれない。

もし、私の見る景色と、あなたの見る景色とが、
同じく日常の中のひとコマであったとしても。
その景色を見て思うことは、感じることは、
わたしによって、あなたによって、様々なんだろう。
100人が同じ景色を見たとしても、受容の仕方なんて。
細部に至っては、まったく無限にあるんだろう。
同じ人が同じ景色を何度か見たって、
その時々で、思うことは変わるはず。

考えてみたら当たり前のことだけど。
考え出すと。とめどない。
どこまでも。






DSC08120.jpg


夏のような一日でした。


DSC08121.jpg

日が燃える。






DSC08128.jpg


連動。(手前右足、奥左足。たぶん






電車に乗り。夏日にそまる夕方の都会の中で
数限りないとすら錯覚する人の多さは、
私の考え得る範囲をとっくに飛び越えてしまっているから。
なんだか今、横がけの席に座っている私は、実は透明人間で。
隣に座る人に触れても通り抜けちゃって、
意識だけの浮遊体で。実体を持たない。意識しかない存在。
なんじゃないかって。

変な錯覚。
でも現実。もちろん、そんなことはない。SFでもミステリでもなく。
もちろんなんて、私には断言できないけど。
よくわかんないな。




何駅か過ぎたところで。
車内放送が、ターミナル(terminal)という言葉を発した。

そうかー…駅の「終点」も、
ターミナル、使うんかー…。(無知)

私のターミナルは…どこに行き着くんだろうね。


ぼんやり思いながら、夕方ラッシュになりかけた時間帯。
ホームに下りたら、正面のガラス張りのビルに夕日が反射していて、
眩しかった。




DSC08129.jpg


まだまだ、そんなこと考えてる余裕は、ない か。
今は、どんどん進まなきゃね。
学ぶことの多すぎる青い若造です。(自戒)





DSC08143.jpg

狭い道端の自販機で見つけました。
100円でしたΣ

おいしかったな*



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