白桜だより

届けたいこと、遺したいこと

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見えなくて、在るもの 

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生きる人
心の内に
抱えきれない悩みを抱えて
今に在る


※こちらの記事は、復興支援の連番記事とは別記事です。
 個人的な、ちいさな述懐です。



3月で一端、自分の昨年度の受験が終えたので、
3月、4月は友人と連絡を取り、
その流れで自然と友人の話を聴く機会が多くありました。

この数週間の短い期間でも
直接対面しての会話や、メールや、電話で
5人の友人の悩みを聴きました(聴いています)が、

それぞれが…それぞれに、
悩みを抱えて生きていることを
改めて、感じました。
(感じざるを得ませんでした。)

生来の習慣で、
自分のことを話すよりも相手の話を聴くことが多い傾向がありますが、(*)
1人1人と向き合う中で…
生きることは悩むことなのか…と
思えるようでした。

(*)私がブログを続ける一因かもしれません。
現実生活では話せないので、少なからずネットにその役割を求めているのかもしれません。




私は単なる小さな個人です。
話しを聴くということに関しても、専門家でもない素人です。
友人の悩みを聴いたところで、
その悩みを解決できるなどという驕りはもてません。
友人が持つ悩みは、友人自身にしか解決できないと思うからです。

それでも、
友人が「話す」場を求めているのなら、
私が「話す」場を提供することで、わずかでも、友人が明日を生きることにつながるのなら、
できる限り、協力したいと思います。



私は時々、心の底から、「無」でありたいと思います。


その「無」とは、
「そこに在ることに気づかない存在でありながら、在ると癒されるもの」
とでも言えるかもしれません。
表記上で表すなら、「 」と書けるかもしれません。

私にとっての「無」は、
風、花、水、空気、…などの自然や、
実家の白猫(桜)、もそう感じます。

桜などは「有」を認識しているので、「無」ではありませんが、
眠っている桜の姿、呼吸、手触りなどから癒しをもらうとき、
感覚的な「無」を感じることがあるため、このように記述しています。


ちなみに、宮沢賢治の言う
「ホメラレモセズ クニモサレズ」
というフレーズに、「無」を感じることもあります。


しかし、私の場合は、友人に危害を与えない、という観点から「無」を望む気持ちもあろうとは思うものの、
宮沢賢治のような崇高な考え方とは程遠い、
どこかに、自分が傷つきたくない、という利己心もあるのかもしれないとも感じます。

なぜなら、話しを聴くことは、エネルギーを使う行為だと感じるからです。
適当に流し聞きするのなら、自分が疲れることもないのだと思いますが、
友人の「悩み」を聴くとき、気持ちのないスタンスでは、「聴く」ことはできません。


ところが、「聴く」ことにエネルギーを注ぎすぎることも、良くないと思い知りました。
というのも、昔の私は、それで失敗したことがあるからです。

昔の私は、自分のエネルギーを残して、「聴く」ということができなかったのだと、今は思います。
100%のエネルギーで、相手の話を聴いてしまうので、
話しを聴き終えた後には、自分のエネルギーは0%でした。

今も、100%の気持ちでもって、相手の話を聴くことには変わりはありませんが、
自分に対するエネルギーも同時にどこかに残しながら、聴くことができるようになったと思っています。

自分に対するエネルギーを残すことは、相手の話を「聴く」ということと同じくらい、大事なことだと感じました。
そうでなければ、話しを聴く立場である自分までもが話しを聴ける状態ではなくなり、
相手のためにも、自分のためにもならなくなってしまうからです。

しかし、常に、今の自分の「聴く」スタンスが最高の状態であるとは、思いません。(思えません)
経験的なことや感覚的なこととは別に、
論理的な面から、本を読んで知識を得ることもあります。
また、話しを聴く立場の自分を、極力自分の力で支えられるようにと、
時間のあった3月中旬に、セルフカウンセリングの講座を受講しに行ったりもしました。


大分、話しがそれてしまいましたが…、

最近、改めてまた

誰もが表の皮を剥げば、
中では悩みを抱えている

ということを…、
実感せずにはいられませんでした。




それでも…今も、
悩みを抱えながら…それぞれが、それぞれの時を、それぞれの人生を
生きている、現実があります。


幸せが何かを分かることはできなくても、
幸せを感じることはできるのかもしれません。




虚しくなるときがあります。
無性に孤独に苛まれるときがあります。
あらゆる全てが無意味に思えるときがあります。


ただ、
生きています。




悩み。苦しみ。
悩みを聴き。苦しみを聴き。


時に「無」になりたいと切に願いながら、
信じることで、今を生きています。



何を書きたいのか、自分でもよく把握できませんでした。
主導権を指にゆだねて、綴りました。



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