白桜だより

届けたいこと、遺したいこと

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2012年3月復興支援③~陸前高田市米崎町の方のお話 


つづき

陸前高田市のボランティアセンターに到着したあと、
陸前高田市内の米崎町(よねさきちょう)という場所に移動して、
側溝のドロ出し、瓦礫除去の活動を行いました。

以下は、ボランティアセンターから活動場所の米崎町へバスで移動する間に、
現地の(米崎町で生まれ育った)ボランティアセンターの方が話してくださった内容です。




岩手県 陸前高田市 米崎町

●漁業<農業
 海沿いの町なので、漁業が中心だと思われがちであるが、米崎町は「農業」が盛ん。

→東京ドーム5,6コ分の水田がある。

→果樹園が多くあり、「りんご」の名産地。
 品種は「ふじ」が有名。
 関西に出荷すると、この「ふじりんご」15kgが十数万円で売れる。

 ※参考 国土地理院 地図閲覧サービスより
  http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=141.66361111158&latitude=39.012048518335
  (水田、果樹園の多さがよくわかります)

●陸前高田市は、とても平和な町であった。

→陸前高田市にはもともと警察がなかった。(警察が必要ないくらい平和だった。)

→警察ができた後も、警察官の仕事は
 地域のおじいちゃんやおばあちゃんの家に伺い、お茶を飲んで帰ることであった。

→こどもが果樹園のりんごを盗んでも、警察が出動することはない。
 なぜなら、地域全体でこどもを見守っていたため、
 どこの家のこどもがりんごを盗んだのかが、警察を介入するまでもなく、すぐわかってしまうから。

→地域の目が犯罪の抑止力であった。




陸前高田は農業が盛んで、とても平和な地域であるということを教えてくださいました。

米崎の紹介をしてくださったあとは、
これから行う活動内容についての注意事項です。




●今日、行うのは「側溝のドロ出し」「瓦礫除去」

→ドロの中には、海から流されてきたさまざまな物が混入している。

●津波の遺体がある可能性もある。

→津波の遺体にきれいな状態の遺体はない。

→多くは、上半身・下半身のみ、腕・足のみなどである。

→発見したらショックをうけるかもしれないが、
 震災以来ずっと、見つけられずにさまよい、埋もれていた方なのである。
 「おかえりなさい」という気持ちで迎え入れること。

→活動場所では、これまでにも既に3体の遺体が発見されている。
 (それだけ被害も大きかった。)

→遺体を発見したら、動かさずに報告すること。
 後で警察が確認を行う。




ご遺体の話になると、一瞬にして、バス内は張り詰めた空気に変わりました。
事実としての生々しさが、急な現実として迫ってくる感覚を覚えました。

「おかえりなさい」という気持ちで受け入れる

そこに、生きていた人がいる…
誰かの、家族として…

言いようのない、寂しさのようなものを…覚えずにはおれませんでした。

作業を行うにあたっての話しはまだ続きます。




●ボランティアを行う目的について

→はっきりと言うと、「作業」についての期待は、していない。

→今日これから行う、ドロ出し、瓦礫除去も、結局は重機を使って行う。

→人力での作業など、作業効率という観点からはほぼ無意味に近い。

→それでは、なぜ、これまで多くのボランティアを受け入れてきたのか?

→それは、現地の住民の方が、ボランティアが活動している姿を見ると安心できるから。

→ボランティアが誰も来ない状態では、住民の方は、見放された気持ちになってしまう。

→それでも、ボランティアが活動する姿を見ると、「ようやくこの地域にも支援がきたのか」
 と感じ、また、その姿から今後の具体的な行動を考えることができる。
 たとえば、わずかであっても瓦礫を除去して視覚的にきれいになった畑を見て、
 何か植えてみよう、などと考えることができる。

→したがって、ボランティアの真の目的は「作業」ではなく、「その姿を示す」ことにある。
 だからこそ、誠意をもって取り組んでほしい。





この話を聞いて、どこか、腑に落ちる気持ちがありました。

なぜなら、ボランティアセンターに着くまでにもすでに、
瓦礫にまみれた土地や、多くのクレーン車などの重機がひっきりなしに動いている光景を見てきて、
果たして、このようなわずかな人数で広大な土地のほんの一部を対象に、
それも、ほんのわずかな時間の中で活動することに、作業としての意味はあるのだろうか…?
と、感じていたからです。

確かに、仮に作業としての効果がなくとも、
活動を行った人の実体験が、その人自身になんらかの影響を与え、
活動を行った人が、瓦礫除去などの直接的な支援以外に、
地元に戻ってから別の形で、間接的な復興支援を行うことにつながるなどは
十分考えられると思ってはいました。

私自身も、今回この活動に参加したのは、
自分の生身で現地に行かなければ、メディアからは分からないことが必ずあるだろう
という考えがあったからでした。

しかし言うまでもなく、いくらそのように思っても、
現地のニーズに合わなければ、勝手に現地へ出向いても、かえって迷惑になってしまう可能性もある。

けれど今回、現地のニーズに見合う参加方法があったので、参加するに至りました。
それでも、わずかな作業を行うことには疑問がありました。

そのような中、現地の方から、真のボランティアの意味を拝聴して、
自分の中ですべての疑問が解消したわけではなくとも、
気持ちの中で、「そうか…」と、腑に落ちる部分がありました。




●ドロ出し、瓦礫除去作業中に、発見したら回収するもの
  ①写真
  ②通帳
  ③印鑑
  ④身分証明書
  ⑤現金

●おもちゃなどの思い出の品は、一箇所にまとめて、わかりやすく置いておく。
→仮に持ち主が死亡してしまっていた場合、家族のもとへ無闇に届けると、つらい記憶を思い出させてしまう。
→現地の方が取りに来れるように、置いておく。

●写真撮影は、現地の方に十分な配慮をもって行う。
→配慮のないポーズで撮影したり、心ない撮影は、「事故現場で血まみれの被害者の姿を撮る行為に等しい」。





実際に作業を行うと、
ドロの中から、本当に様々なものが出てきました…。
こども用の缶のペンケース、CDの欠片、割れた陶器の皿、写真…。

説明は最後になります。




●これから向かう場所でも、津波で2000名以上の方が亡くなっている。

●震災はまったく終わっていない。
→作業中に津波が来る可能性も十分にある。

●津波が来たら、とにかく、逃げる。
→人を助けようと思わないこと。
 家族も。友人も。
 助けようとしていたら、死ぬ。
 人を見捨てて、とにかく逃げること。

●危険性を自覚して、各自、覚悟を持って活動すること。

●活動後も、地元に戻ったら、活動内容を話すなどして、情報を共有し、多くの人に広めて欲しい。





と、現地のボランティアセンターの方の話は締めくくられました。

「人を助けようとするな」

という注意事項を聞いたとき、…違和感を感じずにいられなかったのは、
おそらく、バスの中の全員、…そのように話された方自身も含めて…
であったのではないかと、思えてしまいます。

それは、津波に直面していない我が身の甘い考えなのかもしれません…。
あまりにも厳しいと思えるその言葉も、
実際に…津波の厳しさに直面した、現地の方だからこそ、発せられた内容なのだと思います。

果たして…有事の際にその注意事項を守れるのか…
…人を見捨てる覚悟は…できませんでしたが…、

それほど、災害が厳しいものである、という現実は、
痛いほどに…伝わってきました。



引き続き、
次記事では活動場所、米崎町の写真を掲載いたします。


つづく


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2012年3月復興支援②~陸前高田市災害ボランティアセンター 


つづき

道の駅 かわさき
を出発し、気仙沼市を経由して、
陸前高田市の災害ボランティアセンターへと、バスで移動します。



陸前高田市に近づくにつれて増していく、被害の大きさを目の当りにしました。

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基礎だけになった家々…

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今は更地と化していても、
もともと建物が建っていた場所です。

広範囲に及んだ津波の威力のすさまじさを…否応なく突きつけられます。

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高田松原を通る時、添乗員さんが、
「あれが有名な一本松です」
とアナウンスされました。
バスの窓から小さくとも、はっきりと確認できました。

一本松が見えると、ほどなくしてボランティアセンターへ到着です。


陸前高田市 災害ボランティアセンター

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ボランティアには10代後半~50代くらいまでの、さまざまな方が参加していました。
海外からお越しになった外国人の方々もいらっしゃいました。

ツアーとして参加する方、企業で参加する方、個人で参加する方、
参加形態も多様ですが、活動拠点として、みなさんがこちらのセンターに集合しました。

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センターにはプレハブ小屋があり、救護なども行われます。
水も使うことができます。

DSC00725.jpg

センターからの眺め。

ボランティアに参加するには、ボランティア保険に加入しておく必要があります。
また、作業のための服装は道具類などは、一部を除き、基本的に個々人それぞれが準備、持参します。

DSC00726_.jpg

こちらのワッペンが各自に配られ、
自分の名前をマジックで書き、名札として腕や胸など目立つ位置に貼り、活動を行いました。

センターでミーティングを行った後は、
いくつかのグループに分かれて、それぞれの活動場所へバスで移動します。


DSC00873_20120405235415.jpg
*クリックで拡大します

センターに設置されていたホワイトボードです。
服装や、作業時の注意事項が細かく記載されています。


今回、私が向かう作業現場は、
陸前高田市内の「米崎町」(よねさきちょう)という場所で、
活動内容は「側溝のドロ出し」「瓦礫除去」でした。

バスに乗り込み、米崎町へと向かいます。


つづく


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2012年3月復興支援①~行 


今記事から数回にわけて、3月に訪問した
岩手県陸前高田市と
宮城県石巻市における
ボランティア活動と視察の内容を掲載します。

まずは、岩手県までの道中。

陸前高田市までは、
東京から東北自動車道を通り、バスの車中泊を経て移動しました。

途中、

埼玉県の羽生PA
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福島県の安達太良SA
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         午前2時15分 安達太良SAにて

に寄りました。

安達太良SAでは、「あだたらのいも小町
なる食べ物を買いました。

レジの横に、よくコンビニでにくまんが温められている箱(?)が設置してあり、
その中に並べられています。

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地元白沢産のとろろを使用した生地の中に、
つぶあんと、輪切りの蒸し芋が入っています。
甘すぎず、さつま芋の味がしっかりします。
食感は、外はもちもち。中はほくほく。
大きさは、直径6cmくらい。
1個160円。

ひとつ食べると、かなりお腹が満たされました。

消費活動を行うことも復興支援になるそうなので、
現地では少しでも色々と買いたいという想いがありました。


そうして東北自動車道を下り…
(都心から離れていくので表現上は「下り」になるのですが、
感覚的には、日本列島を北上しているので、上っている気持ちがします。)


岩手県に着きました。

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道の駅 かわさき
にて、作業時の服装に着替えます。

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お店は営業時間外なので閉まっていました。
午前5時17分
気温は-2℃

感覚的には、氷点下ほどの寒さは感じませんでした。

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この後、車道を挟んで向かいにあるファミリーマートで朝食を買い、
陸前高田市の災害ボランティアセンターまで、再びバスで移動します。


つづく


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2011.6.5

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被災地のペットたち 

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地震からもうすこしで三週間が経とうとしていますが、
その爪跡は凄まじく、余波も未だ解決に至らず、緊迫した日々が続いています。

けれども、東京のソメイヨシノの開花宣言もされて、春は日増しに近づいているように感じます。



地震以来、ブログに何を載せるか悩みます。

単純に個人的に、言葉が出てこない、更新する気持ちに至らないという側面もあります。

庭先の沈丁花が、気づいたらあふれんばかりに咲いていた、とか、
おきにいりの花桃のつぼみも、いよいよふくらんできた、であるとか、
遠出こそせずとも、庭に出るだけで、十分に書くことはたくさんあるのですが、

地震のことが、自覚するとも自覚せずとも、頭のどこかを常に陣取っているらしく、

ブログに写真を載せようか、と思う気持ちが湧いても、
いざブログに来てみると、気持ちが拡散して、やっぱりやめてしまったり、
書こうか書くまいかしばらく逡巡した挙句、結局書かなかったり…。

かといえば、地震の記事ばかりでも息苦しくなるかなと、写真を載せてはみたものの、
なんだか心が空のまま載せたものだから、どうもしっくりこなかったり…。

そのようなわけで、ブログの裏側では、密かな攻防がしばらく続いておりました。





と言いながら、今日こうして更新しているのは、やはり「書きたいこと」があるからです。

記事のタイトルの通り、今回は「被災地のペット」に関してお話し致します。



先日、私がブログのリンクでお世話になっている
satoさんのブログ「茨 城 田 舎 暮 ら し」にて、
「被災地のペット」の情報について書かれているブログの紹介がされていました。

そして私もsatoさんのブログのリンクから飛び、紹介されているブログを拝見したのですが、


…まず、記事のはじめに載せてある写真を見て、
言葉が出なくなってしまいました。

ひとりで部屋でパソコンを開いていたものですから、
かなしくてたまらなくて、泣き出したくなってしまいました。

犬や猫と一緒に暮らしていらっしゃる方なら、この気持ちを感じていただけると思います。


私の家には現在、成猫が3匹おりますが、皆、
飼っているというより、一緒に住んでいる、という認識で、家族そのものです。

地震の日、地震発生から数時間、猫が見つからない時間がありました。
夜中になって3匹共の無事が確認されるまでは、本当に胸の潰れる思いでした。

中には動物をあまり好きでない方もいらっしゃるということも重々承知の上ながら…、
それでも、ヒトとは違うといえども…私にとっては猫も家族の一員。
大切な存在に違いありません。



被災地の方の中で、ペット(便宜上「ペット」という言葉を使いますが)を亡くされた方、
ペットの行方がわからないままになっている方、
避難所に一緒に連れて行くことができずに家に残さざるを得なかった方、…
その心境を考えると、内臓が千切れる思いがします。

私自身、桜がそうであったら。。。
と考える途中で頭に考えが止められてしまいます。


そのような、被災地のペットに関する情報が、こちらのブログで紹介されています。

ごんのブログ (ごんさん)
http://ameblo.jp/gombessa/entry-10841833525.html



私にできることは何だろう。
自分にできることを、できる範囲でするということ。。

私はこうしてブログを持っているのだから、ブログに情報を載せることができる。

もし、私の記事を読んでくださった方が、ひとりいてくださったとして、
その方が何かのきっかけに、ご友人に話されたなら、情報はふたりの方に届いたことになる。
さらにそのご友人の方が、別のご友人に話してくださったとしたら、3人の方に届いたことになる。
そしてまたさらに…

そのように考えると、
こんなちいさなブログでも、情報を発信すれば、情報の拡散に、少しは役に立てると思います。

もちろん、情報は全てが正しいわけでなく、誤ったものも多くあるので、
真偽を見極めて享受しなければなりません。

けれど、大事な情報は、広く知られる必要があると思います。

たとえ詳しく知らなかったとしても、
どこかで耳にしたことがある、のと、まったくの初耳、というのとでは、違うと思います。
後の行動にも影響してくるかもしれません。



初めはブログの写真を見た時のショックが大きく、
すぐに記事に書き起こすことができませんでしたが、
それでも、やはりこの情報は猫を家族にもつ私自身、拡散したいという気持ちが大きいので、
今日は「被災地のペット」に関するブログのご紹介を致しました。

是非、ご一読いただければと思います。


ごんのブログ (ごんさん)
http://ameblo.jp/gombessa/entry-10841833525.html



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茨城 


地震発生から、1週間が経ちました。

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地震当日、
《一週間後にはきっと「地震発生から…」と各メディアが報道するのだろうな…》
と、ろうそくの炎のゆらめきを見つめながら、
ラジオを流しつつ余震に備えていた夜も、
ちょうど一週間前のこととなりました。


しかし、改めて記するまでも無く、
地震の起きた日が一週間前とはとても思えないくらいに、
依然として被害は継続しています。


ここ数日、県外に住む友人に、
「茨城の情報が入らないが、今、どのような状況なのだろうか」
という言葉をもらいます。

私自身、東北地方の被害の甚大さに目や耳を奪われていましたが、
その言葉を受けて、
《確かに茨城(関東)の情報は殆ど報道されない…》
と遅ればせながら気がつきました。

東北地方の被害の甚大さ…、
言葉にできるもの以上の凄まじさに…私も胸が潰れる思いで、
一日も早く安心できる日が訪れ、復興されることを心の底からお祈りしています。




それゆえ、一時は、
今は誰しもつらい状況で、
まして自分などより苦しい状況を強いられている方がいらっしゃるのだから、
自分の被害状況を述べてはならない。と、無意識のうちに思っていたような気がします。

今も自分の中でそのような思いはとてもぬぐえませんし、
自分だけでなく、そのような思いでいる方も大勢いらっしゃると存じます。
また、実際、そのような思いによって支えられている現実があることも、事実だと思います。

ただ…、「黙すること」だけが全てではないのではないか。
決して、不満をぶちまける、などということではありません。
そうではなく、事実は事実として、明るみに出て、理解される必要がある。
情報を必要としている人がいる。
情報が明らかになって初めて可能になる次の手もある。
と考えたのです。


その上で、私も茨城県民のひとりとして…自分にできること。
もちろん、このようにちいさな私ひとりには、できることに限りがある。
でも、限りがあるから何もしないというのでは、なるものもならない。

ちいさな力の私の、ちいさなブログではあるけれど…
せっかくこうして、ブログを持っているのに、
できることもしないなんて、なんのための私のブログなのか。

という想いが抑えられなくなったので、
今日は微力ながら、茨城の現状に関する記事を書こうと思います。

この記事が、ささやかでも何がしかのお役に立てるとしたら…この上ない喜びです。


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18日現在の、茨城県に関する情報を記します。

11日以来、余震のない日は一日もありません。
今こうして記事を書いている間にも、たびたび余震が起きています。
昼夜かかわりなく余震は来るので、落ち着いて眠ることもままなりません。

特に県北・沿岸部の被害は計り知れません。
沿岸部では、東北地方同様の甚大な津波の被害に見舞われています。
津波で姿を消した建物もあり、液状化現象も起こりました。
内陸部でも建物の倒壊が酷く、県外への避難を余儀なくされた知人もいます。
道路は地割れなどにより、至る所で道が寸断されています。

また、鹿行(ろっこう)大橋 (鹿行大橋所在地) の中央部が地震で崩落し、
この崩落に巻き込まれた一名の方が亡くなったそうです。


私の実家は県内でも比較的被害の小さい地域でしたが、
本棚などの中身は殆ど外に放り出され、
少し高くに置いてあったテレビも床に落ち、
床には様々なものが散乱して、足の踏み場が無い状態でした。
同様に食器なども落ちて割れ、風呂場の壁にはひびが入ってタイルが剥がれるなどもしました。
近所では、窓ガラスが割れたり、塀が崩れている家もありました。

ライフラインの復旧にも時間がかかっています。
私の家は早めに復旧しましたが、
県南の友人の家では、16日になって5日振りに断水が復旧したと聞きました。
けれど復旧した今、18日現在も、蛇口から出てくる水は茶色く濁っているそうです。
(友人は、断水よりはずっと良いと言っていましたが。)
そして茨城県内では今なお、電気、水道、ガスが復旧していない地域もあります。

さらに被害の比較的小さな地域でも、ガソリンや灯油の不足が深刻です。
物流の滞りが改善されれば見通しは明るいとは聞くものの、実際、現状は深刻です。
私の家でもガソリン不足のために、
通院している家族が病院に行くために必要な最低限のガソリンを、
ガソリンスタンドに朝早く開店前から並んで、なんとか確保している状態です。
知人の中には、家から車でなければ職場に通えないので、仕事ができない人もいます。
茨城は車がなければ最寄の駅にも行けない場所も多く、このような場所では
ガソリンがなければ遠出は実質的に不可能です。
したがって私自身も、3月中に入っていた予定を全て白紙にせざるを得ませんでした。

加えて、スーパーでの品薄状態も地震以来続いており、惣菜や保存食の棚は空になっています。
友人宅の付近の店ではトイレットペーパーも買えないそうです。


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続いて、茨城の関連ニュースのリンクをいくつか並べて載せておきます。

【茨城の東北地方太平洋沖地震関連のニュース】


IBS 茨城放送 (Ustream)
http://www.ustream.tv/user/ibs_radio

茨城県の災害情報のまとめ
http://ibaraki.odekakenavi.com/jishin.html


※以下、日付順(降順)に掲載します。
リンク先にジャンプすれば画像が豊富なページもあり、
より視覚的に状況が伝わると思いますが、リンク先に飛ばずとも、
記事の見出しに目を通されるだけでも、情報が入るのではないかと思います。


“忘れ去られた”被災地から悲鳴「茨城は陸の孤島に…」 (ZAKZAK)
18日 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110318/dms1103181525011-n1.htm

関東地方の地震被害が明らかに (MBSニュース)
18日 http://www.mbs.jp/news/jnn_4677479_zen.shtml
更新されて記事が消えていたので、同じ内容の別リンクに書き直しておきます。↓
(YAHOO! NEWS) http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20110318-00000088-jnn-soci

茨城、福島から避難者1200人 続く断水…爪痕なお (朝日新聞)
18日 http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103170553.html

ライフライン情報 /茨城 (毎日新聞)
17日 http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20110318ddlk08040022000c.html

磯山さやか、テレビで放映されない忘れられた被災地、茨城の惨状訴える (シネマ トゥデイ)
17日 http://www.cinematoday.jp/page/N0031127

茨城も被災地 (ブログ「茨城田舎暮らし」satoさん)
17日 http://kashima.blog.ocn.ne.jp/sato/2011/03/post_52fc.html

ガソリン抜き取り続発、避難住民宅に空き巣も (読売新聞)
17日 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110317-OYT1T00220.htm?from=navr

「茨城も被災地」 元日本代表・鹿島アントラーズの小笠原選手ら訴え (ニコニコニュース)
16日 http://news.nicovideo.jp/watch/nw42284

続く断水復旧難航 浄水場や配管被害 (茨城新聞)
15日 http://www.ibaraki-np.co.jp/news/news.php?f_jun=13000798783251

6万3000人、避難続く 36市町村、依然断水 /茨城 (YAHOO! NEWS)
14日 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110314-00000061-mailo-l08

文化財や観光名所も被害 (東京新聞)
14日 http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20110314/CK2011031402000073.html

岡倉天心の六角堂は滅失 (日本経済新聞)
14日 http://www.nikkei.com/life/culture/article/g=96958A90889DE0E7E2E4E3E7EBE2E3E6E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3EBE2E6E0E2E3E2EBE7E3E6

茨城・千葉 家屋数千棟に被害 (TV asahi)
13日 http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/210313091.html

鹿行大橋が落ちた (ブログ「茨城田舎暮らし」satoさん)
13日 http://kashima.blog.ocn.ne.jp/sato/2011/03/post_ff6a.html

東北・太平洋沿岸地震 建物崩壊、火災被害者多数 茨城 (産経ニュース)
12日 http://sankei.jp.msn.com/region/news/110312/ibr11031202420004-n1.htm

霞ヶ浦北浦の鹿行大橋 橋梁が陥没 車両数台取り残される (産経ニュース)
12日 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031210380152-n1.htm




茨城に生まれて、茨城に住んでいる頃からずっと茨城が好きでしたが、
茨城を離れて東京で生活を送るようになって、改めて、
本当に自分は茨城が大好きなのだと、思い知りました。
今は茨城に戻ってきていますが、もう少ししたらまた東京に行かなければなりません。
それでも、私はきっとこの先ずっと茨城が好きなままなのだと感じています。




最後に。。
この記事を書くに当たって調べ物をしている間に、
はっとする記事を見つけたので、併せてこちらに記載しておきます。

私たちができること (北海道新聞)
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/saigai_dekirukoto/




以上、連ねてきたことが何のためになるか…わかりませんが、
何かしらの役に立てれば良いと、切に思います。

これからこそ、だと思います。
協力していきましょう。


さくらねこ


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@Ibaraki




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東日本大震災で被災された方々に、謹んでお見舞いを申し上げます。




地震発生時、私は茨城の実家に帰省していましたが、家族を含め、無事でした。
ご心配くださいました方に、心から感謝いたします。

依然として余震が続いていますが、
私の家は停電も復旧し、状況が落ち着いて参りましたので、現在記事を更新しています。
停電などの復旧を行ってくださった方々にも感謝は尽きません…。



地震以来、ラジオをかけ続けていますが、
日ごとに大きくなっていく被害の報告に…胸が潰れる想いです。

停電が回復してから点けたテレビの映像に言葉を失い、
絶えず緑色の背景画面で「安否情報」を放送しているチャンネルを見ては、
未だ連絡を取ることができていない方のご無事を、ただただ…祈るばかりです。


地震があった日、私はブログに載せるための受験報告の記事を仕上げ、
最後の読み直しをしているところでした。

しかし、このような事態になった今、
再び更新できる環境になっても、
こんな私的なことを更新する場合ではないのではないか…
節電もしなければならない…
そのような思いが消えず、更新をためらっていました。

今、こうして記事を書いていますが、
未だにその躊躇は消えていません。

ただ、私は私のすべきことをするしかないのではないか。
今私にできる目の前のことをするしかないのではないか。
それに、いつまた更新できない状態になるかもわからない。

そのような考えに至り、更新しておくことに決めました。


この記事のひとつ下に、「ご報告」として、
その内容の記事を、多少修正を加えて、 up しておきます。




今この時も…
懸命に今を生きている被災された方々…
危険な中、使命を帯びて活動してくださっている方々…


どうか、ご無事でありますように。

どうか、一刻も早く日常の生活に戻れますように。

どうか、これ以上、被害が拡大しませんように…。




心の底からお祈り申し上げます。

私も、ささやかでも自分にできることを見つけて、協力していく心積もりです。

情報の錯綜も見受けられますが、正しい情報を得るように心がけ、
みんなで協力していきましょう。



さくらねこ




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11日。街の明かりが全て消えた地震の日の夜。家の前で見上げた空。
こんなに星が見えるとは…生まれて20余年…今まで知りませんでした。





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献血 

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100718



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65年 

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