白桜だより

届けたいこと、遺したいこと

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1月の春 



どこかに雨を含んでしっとりとした風が、
淡い晴れと薄ぐもりの空の合間をぬって、
静かに流れ込んできた。

春の香りを帯びて。



2014.1.30 9:07@船橋

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近き季節 



風の音つよく
陽ざしは春の色に似たり

武蔵につづき相模も 梅のつぼみほころぶ


天高くヘリコプターの音

まどろみの光に
遠いまなざしで もの想ふ




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7年振りの平日 


今日はセンター試験2日目。


風のある、晴れ。
外出はせず、終日部屋にて、明日の準備で机に向かう。
(どうも心上擦り捗らなかったが)


無意識に、昼寝をした。
少し長めの。
ちょうど数学の時間。(センター試験では)


現実の感覚儚く、
夢の中を泳ぐ。
白昼夢と夢の狭間。





昨日、外出をしたのに
センター試験の「セ」の字も耳にしなかった。

事実、池袋で待ち合わせた友人とホットサンドを分かち合い、ニルギリの紅茶にミルクを注いでいる頃には、
信じ難いことに、私自身もそのことをすっかり忘れていたのである。

それをふと思い出し、
それから強く思い及び、こぼれ出しかけた思考を反射的にとどまらせたのは、
友人と別れてからしばらくして、乗り換えの駅のホームを、ひとり歩いている時だった。





渦中から出てみると
世間は静かに流れているのだ
と知った。





とうに昼を過ぎた日暮里駅のホームで、
青い空の中、冬の光と影が、
平日の喧騒から離れた空っぽの空間に、浮かんでいた。









2014.1.19 日 


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「梅無し」に見る不確実性 

DSC02518.jpg


在ると思い込んでいたものが
在るべき場所になかった時の虚無感といったら。


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哀しきまどろみ 

20100313003215


ガラスのように冷たく澄んだ、透明な波。

反射するオレンジ色が濃くなるにつれて、打ち寄せる力がつよくなる。


そのまま、オレンジ色の帯が延びる海からの緩やかでいながら抗えない引力に吸い込まれ…

ビーチサンダルを砂の上に…

素足で生の波の感触をたどる。



冷たい水の中に馴染んでゆく足。

波のリズムに従って解放されてゆく心。

足首までの高さの波は思うより早く増して。


引き寄せては押し返し、

押し返しては、引き寄せる…






……ば…

…戻らなければ。


…オレンジ色が沈む前に。

波の中の眠りへ落ちる前に…。


かかとを去ってゆく流動的なガラスを後ろ背に、

まどろみの次元から現実の宵へと、もつれる足を、

もう1人の私が引き戻す。

(18:15pm)
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桜の風と新たな茶塩 

教習所にてキャンセル待ちをしていたところ、ありがたいことに
1コマ分のキャンセルが出たので、がっつり運転してきました*
これでまた実技も一つ減ったか…。

一方、学科は、ひとまず実技とセットの1コマ & 最後のテスト 以外は終えました☆ ワーイ
(これらの受講は、きたるべき時が来るまでは、残念ながらおあずけなので;)
よかよか。
これで気兼ねなく、本業(受験勉強)に集中できます。(ほ…)
本業が疎かになっては…本末転倒@、元も子もないですものね;
(そもそも、教習所に行くのも、通学手段を得るために。が第一の理由ですし。。)
欲を言えばテストも終わらせたかったのですが…、しゃぁない。
そうそう思うようには行かぬと。。113歩譲って、よしとしておきましょう。

明日も運転します。
引き続き、キャンセル待ちしてみます。
ふと、切り株うさぎの話やら、柳の下のどぜうやらが脳裏をかすめましたが、
要は、待ち惚けをしなけりゃよいわけで。
勉強してさえおれば、教習所にいても家にいても、さほど変わりないですからね。

それに…プラスに考えりゃ、教習所の窓からは桜吹雪を堪能できるので、
それもおたのしみだと思って。(笑)
きっと私は本来、楽天的なやつなんでしょう。
(教習所内の路上で、桜の花びらがまとまって渦巻いていたりすると、
道路のペイントのように見えてちょっとあぶないんじゃないかなとか
心配するんですが、さすがにその危険はないですよね;
どちらかといえば、桜吹雪で視界が遮られるほうがあり得るか。)

+++

ところで。桜といえば、私の生活圏内の桜は…
早いもので、新緑への衣替え率が、急速に高まりつつあります。
つい三日前はまるまる桜色だったのに。
変化の早さに驚かされています。

そんな中。
はんなりピンクの花びら 抹茶色の新芽3 
くらいで混在した桜を見ていると…
私はどうも、抹茶色の部分が、「しょっぱい」感じがして
見れば見るほど頭の中が、なんとなくしょっぱくなってきます。salty

桜色の部分は、桜アイスとか桜餅とか、んー…
他にもいろいろあるはずですが、
全体的に、ほんのり甘いイメージなんですね。
おちついた和菓子の甘さ。落雁の甘さ。のような。

しかし抹茶色の部分は、その色の通り、抹茶というか…茶塩?
桜の塩漬け的な…うーん、なんか、しょっぱいんですょ!!
私の中では。

…よくわかんないですね。笑
ん。もしや。これもある種の「共感覚」ってやつなんでしょうか。笑
高校の時に読んだ、「synesthesia」がトピックの英語の長文を、今思い出しました。
(あの文は楽しかったです。久々に読み直してみようかな。)
いやはや、感覚って不思議ですねぇ。おもしろい。
(当時、友人同士で「教科」に対して感じる色についておしゃべりしたりもして…
その人その人、色んな感じ方があって興味深かったです。
ex. 数学=青 英語=橙、など。)

とにかく。桜の新芽のところはたぶん、茶塩味だと思います。(もうええがな)
でも、そう思うのはきっと私だけじゃないはずッ…!
と心の中で思っておるのですが、いかがでしょうね。(・v・)

+++

最後に、今日、桜吹雪を眺めていて感じたことを少し。

あれだけ見事に桜を満開に開花させたのに、
全て残らず、潔く、散らせてしまうものなんだな…と。

長い冬を忍び、蕾を育み、一面桜色に仕上げることは、易々とはゆかぬだろうに…

花弁のひとひらたりとも残すことなく、
すべて、一新。100%、新しく。

私であれば、一枚だけ…と名残を惜しんで、
机の奥にでもしまっておきたい気持ちが湧いてしまうような気がします。
(なんてやっているからモノが増えて部屋の容量がいっぱいにな(以下略))

なのに桜は。
一抹のためらいも見せず。
きたるべき風がくれば、風に任せて、花弁を散らす。
あれほどの時間を掛けて築き上げた満開の花々を、
急いで振り落とすかにも思われる速さでもって、みるみるうちに脱ぎ捨ててゆく。

その勢いには、儚さよりも、潔さすら覚えます。

成長してゆくには…いつまでも同じままでいては、いけないのですよね。。
たとえどんなに、最高の状態と思われる状態であっても。
それ以上に進歩してゆこうという意志が確かであるのなら。
新しさを取り入れていかなければ…前進はあり得ないのかもしれません。

とどまっちゃいけないんだな、と。

桜にはよく、「はかない」という言葉が宛がわれますが、
その「はかなさ」とは、
ただただ散りゆく、「終末へ向かふるはかなさ」には非ずして、
古きから新しきへの移ろいの中に在る、「移ろうがためのはかなさ」
にこそあるのではないかな…と、ふと、思うのでした。

(と言っても、これはあくまでさくらねこ視点の、さくらねこ解釈に過ぎないことは自明で、
植物のサクラ自身がそうであるかどうかは、まったく分かりませんけれども。。
それでも人間、したいように解釈する…。
うーん、自分でしておきながら、そうしてしまう仕組みが不思議でたまりません。)


いやしくも、「さくらねこ」の名において、一部を桜から借りたる我がこの身。
桜のその移ろう潔さに倣って、私も精進せねばと
花びらの風に見惚れつつも、改めて気持ち引き締まる
春うららかながら、夏の如くに暑さ覚える午後でした。
(暑いな~と思ったら今日、夏日だったみたいですね。そりゃ道理で。。)

桜ももうすぐ新緑。
このちょうど変わり目の時の、濃い目の色の桜は、
なんだか脱皮してるみたいに見えます。(笑) 動物のよう。

私も、気持ちを脱皮させねばです。


情報 

冬朝
                                               2009.1.4
夜が明ける。 今日が来る。


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季節+心 

秋雨

専門的には、季節の変わり目(の季節)は
「人が問題を内在化しやすい季節」 なのだそうです。
(その対処法としては、問題を「外在化」させるのが新しい技法であるとか。)
                     (Z会情報誌10月号の心理学コラム より)

そういえば、「愁」 の字は 「秋の心」 と書くんでしたね。

秋+心→「愁」 うれい       ⇒心細さ
春+心→「惷」 おろか。うごめく。⇒ずっしりと重い心
夏+心→ なし
冬+心→ なし

上の2つしか漢字は見つからなかったのですが。
本当に下の2つには当てはまる漢字はないのでしょうか。
(日本にないだけで、中国の漢字にはあるとか…? )

でもこれが正しいなら…これも、先に挙げた文の
ちょっとした裏づけになりそうですよね。

「春+心」は、うきうきした気分かと思いきや、実はまるで逆の意味。
んー…興味深い。。

季節の変わり目の穏やかな気候では、
夏や冬の気温が極端な季節よりも、外部環境からの身体的な面への
影響が緩和されて、その余った分の影響が、
内面の方へしわ寄せとして表れて来ちゃうんでしょうか。なんて…。

ともかく…秋が淋しいのは必ずしも気のせいだけでもないみたいでした。
なるほ。

金は返せても時間は返せない 

最後の夏期講習、あと3日。


個人的にブログを更新しない時というのは大抵、

  ①なんらかの理由でPCが使えない
  ②なんらかの理由で更新する時間がない
  ③なんらかの理由でかなんの理由もなく書く気力がない

のどれかに当てはまることが殆ど(しかもその9割くらいは③)で、
書くことがない…いわゆる「ネタがない」という理由は、
おそらく滅多にない、もしくは、全くないと思われます。


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なぜ、書くのか。 

なぜ、ブログを書くんだろうか。
少し考え突き詰めていくと、
ブログなんて、書かないですむなら、書かないにこしたことはない。
と、行き着くところは常に変わらない。
ふと思い返して、本棚から取り出してきた文庫本のページを繰ると、

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『ふいに吹く風』(南木佳士) 文春文庫

《小説なんか書かないですめばそれにこしたことはない。
この想いだけは小説を書き始めたときから今に至るまで変わらない。》
p.158 「故郷の五月」より

《人が短歌や詩や小説を創るのは、なんとかして自分の感動を他人に
伝えたいと願うからであり、そういう人は基本的に寂しがり屋なのである。
名作と言われる文学作品の中には必ず、人間とは存在することそのものが
寂しいものなのである、という一節が含まれている。》
p.32 「運動会」より


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そんなくだりを、再度見つけた。

文庫本最後のページの隅のほうに鉛筆で書かれたメモによると、
どうやら2年前の秋に読んでいたらしい。

ぁぁ、そうか…私の先の言葉は、知らぬうちに根底に沈殿し、
ふと浮かび上がってきたもの…。
そしてその出所は、この本であったのだと。

あるいは、胸のうちに潜めていた想いと呼べぬ想いを
まさしく代弁してくれる文章に触れたがために、
その文字列がより強く印象に刻まれていたものか。

(南木佳士は、高校2年の国語の教科書の小説で出会って以来、
とり憑かれたように、片端から出版されている本を買い集め、
空き時間の中で深く読みふけった、私淑する作家である。)


なるほど…その通りかもしれない。
否、恐らくその通りなのだろう。

南木氏のような格調高い小説の下で私のような小さな者の言葉を
ささやくことは、とてもとても恐れ多い思いがしてしまうのだが、
彼が伝え云わんとされることはそのまま、
ブログというものにも当てはまることなのではないか。
そう思えてならない。

もちろんブログにも様々な目的があり、一概にひとくくりには
まとめることはできないはずである。
しかし、ある種のブログには否めない、その要素が含まれている気がする。
そしてそれは、私自身のブログには確実に当てはまることである。

きっと、ブログも書かないですむならそれにこしたことはないのだろう。
(南木氏ではないが)少なくとも、
自分のそれに対してのこの想いはずっと変わらないように思う。
(「書かないですむにこしたことはない」とはどこか、
ニーチェの云う「生きる意味を考えるなんてことは邪道で、
考えずにすむなら考えないにこしたことはない。」という言葉にも
通ずるような気すらする。)

それでも書いてしまうのである…。
帰着するのは、"寂しがり"の単語なのだろうか。

拒みたくとも、そうでない。と言い切れないのが、かなしいかな。



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